最近考えること

2006年4月13日

未来を担う人材と。
未来を担う人材と。

教育って?

「江戸しぐさ」という言葉があります

実は、今年の第1回定例議会での一般質問において引用した言葉です
その中で、教育についても触れています

江戸時代には町人、商人の子どもの学校として寺子屋がありました
そもそも「教育」という言葉は使われなかったようです

教え育てるという考え方は、大人が、子どもたちに対する一方的な押しつけでしかないというような考えがあり、寺子屋では学習、つまり学び習うことが肝要とされたようです
つまり、自ら学び取る力を育てることが何よりも重要でした

「学ぶ」という言葉は「まねぶ」というところからきていて、生きる上において、手本となる大人や先輩の言動を真似て、覚えていったようです

ですから、お手本となる大人の側も「江戸っ子」と呼ばれるにふさわしい生き方をすることが「イキ」だとされていました

これまで教育の課題に様々関わってきました
また、現場を知るということから「おやじの会」で活動も続けています

現場の実態を知るにつれ、何か大事なものを過去に置き去りにしているように感じてなりません

最近、学校が静かになりました
行政や地域、保護者の努力の成果でしょうか

しかし、一昔前は喧嘩や校内暴力、暴走族等々、子どもたちのエネルギーの凄さに手を焼いていたはずです

今では嘘のように良い子ばかりになったような気がしますが、反面この静けさは、言葉はよくありませんが、不気味さを感じます

子どもたちの心の中にマグマが蓄積されているのか、はたまたエネルギーを無くしてしまったのか、大人たちの見えない所で爆発しているのか・・・
大人の論理だけで、教育現場を作ってきた弊害があちこちに現れています

いずれにしても、時代は変わろうと、子どもたちは大人を真似ながら成長しています

我が家の二人の子どもに対し、一人の大人として立派なお手本になっているのか、考えてしまいます

少々長くなりますが、第1回定例会での一般質問を掲載させていただきます

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2006年第1回定例議会 一般質問

杉並区議会公明党の一員として、区政一般における質問をおこなわせていただきます。
質問項目は、「法教育について」であります。

ことわざに、「勝てば官軍、負ければ賊軍」とあります。つまり、戦いに勝ったほうが正義となり、負けたほうが不義となる。道理はどうあれ強い者が正義者となるというたとえです。

勝ち組の象徴として、ヒルズ族ともてはやされた、ライブドアのホリエモンこと堀江前社長が逮捕されました。

勝った者が正しいとは言わないまでも、多少ルールをはみ出そうと、勝たなければ意味がないという社会的風潮があります。

しかし、逮捕により、私たちは社会正義に反した強者が、勝ち続けることがないことをあらためて確認できました。

若い世代には成功者のカリスマとして、いまだに人気があるのも事実ですが、「カネで買えないものは無い」「人の心は金で買える」と言い切った堀江前社長の言葉は、現代社会のモラル低下を象徴するものであります。

今、倫理、道徳の退廃が世界的に進んでいると言われています。

日本でも、青少年を取り巻く環境が、ここ数年の間に急速に悪化しており、青少年の凶悪犯罪の増加と低年齢化が、深刻な問題となっています。

今や性犯罪、薬物汚染などは特殊な事ではなく、子供たちの身近な事として迫って来ています。
最近の少年犯罪の特徴は、1997年の神戸で起きた、14才の中学生による児童殺傷事件以来、それまでとは全く違った傾向性が出てきたと、専門家が指摘しています。

従来、少年犯罪は基本的に集団事件であり、子どもが単独で起こす致死事件は、非常に珍しいことでしたが、最近では当たり前のように単独での事件が相次いでいます。

また、以前は勉強などから落ちこぼれた子どもが、犯罪を起こすことが一般的で、ある意味で犯罪に走る子どもを特定しやすいと言われていました。

しかし、今は逆に目立たない、一見どこにでもいるような普通の子どもが、重大事件を引き起こしています。

夜回り先生で有名な水谷修氏は「現代の子どもたちが病んでいる。夜の世界へ入って行く子どもたちが、猛烈な勢いで増えている。原因は日本社会の攻撃性にある。上司は部下を、部下は妻を、妻は子どもたちを叱る。」と指摘しています。

少子化で少年の人口は減ってきましたが、少年の人口に占める刑法犯 検挙人員の比率が高水準にあり、少年による特異な凶悪犯罪が発生するなど、予断を許さない状況であると、犯罪白書でも指摘されています。

凶悪な少年犯罪に対する世論に後押しされるように、少年法の見直しが論議されるようになりました。

背景には、凶悪犯罪の低年齢化があります。

最近の少年非行は、厳しい治安情勢と相まって、国民の不安を増大させる原因の一つとなっているといわれています。

平成13年に施行された改正少年法では、16歳未満であっても、検察官送致が可能となりました。

今年度、さらに14歳未満の少年院送致を盛り込んだ、少年法の改正が、国会に提出されるようですが、子どもたちを取り巻く環境にメスがいれられないまま、法律のみを厳しくしていくことには、少々疑問を感じます。

一方、犯罪やトラブルに巻き込まれる青少年も増加しています。

これまでこうじてきた安全対策をあざ笑うかのごとく、頻発する子どもを狙った殺傷事件や性犯罪。いったいどうすれば、子どもたちの安全を守ることができるのか、常識を超えた凶悪犯罪に無力感さえ覚えます。

区内の消費者相談センターに寄せられた相談のうち、相談当事者の10代の相談件数は、平成12年に70件だったものが、平成16年には276件と、この5年間で約4倍となっています。

平成16年度だけで見ると、相談件数全体の27%近くを10代・20代の若者が占めていることがわかりました。

要因として、パソコンや携帯電話に関するトラブルが増加しているとのことことです。

こうした青少年を取り巻く社会情勢、少年犯罪の現状についての区のご所見を伺います。

地下鉄の駅構内や、中吊りのポスターに、「カニあるき」「傘かしげ」「うかつあやまり」というコピーが掲載されました。
これは、代表的な「江戸しぐさ」と言われるものです。

「蠏(かに)あるき」とは、一人しか歩けないようなせまい通路で、カニのように横歩きし、すれちがうことによってトラブルを防ぐこと。

「傘かしげ」は、雨の中、すれ違う時、相手も自分も傘を斜めに傾けて、お互いの身体や顔などに、雨のしずくがかからないようにすること。

「うかつあやまり」とは、込み合った場所で足を踏まれた場合、踏んだ人が謝るのは当然ですが、踏まれた人が「ゴメンナサイ」と先に謝ってしまうことです。

これは、「江戸しぐさ」のなかで「往来しぐさ」と呼ばれるものです。

何かとトラブルの起きやすい地下鉄で、江戸のマナーが掲げられていることは、現代の世相を反映していると思います。

「江戸しぐさ」は「商人しぐさ」とも「繁盛しぐさ」とも呼ばれていました。

18世紀の江戸時代、人口140万人の江戸は、当時、世界最大の都市であり、人口密度は現代の東京を上まわっていました。
全国各地から、生活習慣や、考え方の違った人が集まる江戸では、争いごとなども多く発生しました。

その様々な軋轢を避けて、互いが気持ちよく暮らせる方法を探し求めた結果、江戸の町人、商人達は、独自の合理性に富んだ言葉遣いに始まる、生活作法や振る舞いの美意識などに代表される生活哲学、言い換えれば「しぐさ」を生み出すに至りました。それが「江戸しぐさ」です。

江戸町民のマナー、つまりお互いが社会生活をおくる上での知恵であり、ルールでもあった様です。

江戸っ子は三代続いて、はじめて江戸っ子とよく言われますが、そもそも、江戸の町の成立の経過からして、土着の江戸っ子などは存在せず、江戸の人々は元はといえば各地から集まった人たちなのです。そこで、三代かけて磨き上げなければならない江戸っ子の気質こそが、「江戸しぐさ」と呼ばれるものなのです。

江戸っ子は自分の見識を尊重しました。さらには、相手を思いやる事を第一義としました。自分を磨き、そして相手を尊重すること、身分や血筋、門閥に捕らわれず、自由な発想が出来る人間を「江戸っ子」として認めたのです。

ここには、江戸時代という封建制のなかにあっても、それに拘束されない、自由人たる江戸っ子の生き様が見えてきます。

もう少し、江戸しぐさについて、いくつかの言葉を紹介したいと思います。

「お心肥やし(おしんこやし)」という言葉があります。江戸っ子は教養豊かでなければならないということをこう呼びました。
ここでいう教養とは、読み書き算盤のほか、人格を磨く事が何よりも大切なのだという意味合いが強く込められています。

また、「三脱の教え」とは、初対面の人に年齢、職業、地位を聞かないルールがありました。これなどは、身分制度を全く意識させない教えであり、相手を思いやる心と、人を肩書きだけでは判断しないという、何事にも捉われない教えがありました。

また、「時泥棒」とは、江戸城の時計は一分の狂いもない正確なものであったといわれています。このため、幕府に仕えている武士ばかりではなく、商人たちも時間にはひじょうに厳しかったようです。

突然押しかけて、相手の都合を考えず、勝手に時間を奪う行為は「時泥棒」といって、厳しく禁じられました。金銭は借りても返せるが、過ぎた時間は取り返しがつかないということから、時泥棒は弁済不能の十両の罪と言われました。

挨拶ひとつにも、相手を思いやる心の表れがありました。

たとえば、「すみません」という言葉があります。これは「人は仏様の化身なのに、澄んだ気持ち、つまり「澄み切った心」になれなくて申し訳ございません」とわびる言葉なのです。

このように「江戸しぐさ」は、共に楽しく生きるための知恵であったことがわかります。現代社会において、この江戸の知恵に学ぶべきことが、大いにあると思われます。

さて、この「江戸しぐさ」は子育て、教育の中にも生きていました。
子どもに対し、知識を頭で覚えさせるのではなく、大人や先輩のやることを、見よう見まねで学び取り、体で覚えさせるようにしました。

今の学校にあたる寺子屋では、商人の子どもたちが中心であったので、商売の基本である人間関係を保つために「読み・書き・そろばん」だけでなく、「見る・聞く・話す」に重点を置いていたようです。

江戸っ子が、三代かけて磨き上げたものに「三つ心(こころ)、六つ躾(しつけ)、九つ言葉(ことば)、十二文(ふみ)、十五理(ことわり)で末決まる」といって子供を教育しました。

つまり、3歳までに素直な心を、6歳になるとその振る舞いに節度をもたせ、9歳では人様の前でも恥ずかしくない言葉遣いを覚えさせ、12歳ではきちんとした文章が書けるようにさせ、15歳にもなると、物の道理がわかるようにしなければならないというものです。この教えは、現代にも通用する教育論であろうと考えます。

興味深いのは、9歳でお世辞、つまり、人間関係を円滑にする社交辞令を覚えさせ、12歳で、注文書や請求書、公文書などを書けるようにさせていたことです。

幼い頃より、一人前の江戸っ子としての教育を段階的おこなってきたわけです。

そこには、社会人になるための子どもたちに、「江戸しぐさ」を通し自発的な「生きる力」養う仕組みができあがっていました。

長くなりましたが、「江戸しぐさ」には、子どもたちが、たいへんな時代を生き抜いていくための、示唆に富んだ多くのヒントがあるのではと考えます。

杉並区においては、教育立区をかかげ、人間教育を目指す様々な取り組みがなされていることは、素晴らしいことと思います。

教育を通し、将来にわたって、子どもたち一人ひとりが、昔の江戸っ子のように、自立した生き方を身につけていくことを期待するものです。

さて、行政改革や規制緩和などが進むにつれ、人々の自由な活動が広がっていきますが、一方で自由な行動による争いや事件の増加も予想されます。

また、個人の自由が過度に優先され、周りに対する配慮のない言動が目立っているのではないでしょうか。
このような社会環境の中で、子どもたちが身につけている言動や子どもたちを取り巻く状況も変化しています。

そして、インターネットや携帯電話の普及による新たな種類の犯罪の出現なども含め、犯罪をおこしたり犯罪被害に遭ったりする子どもたちが増えてきたことは、前にも述べました。

このような現状を踏まえて、子どもたちに望ましい「生きる力」を身につけさせたいと考えています。

生きる力の育成は、現行の学習指導要領が示された、基本的なねらいであり、「自ら学び自ら考える力」が「生きる力」の一つとしてあげられています。

この「自ら学び自ら考える力」を育てることについて、法に関する教育が有効ではないかと考えます。

法教育とは、法や司法に関する教育です。

法教育が進んでいるアメリカでは、法教育の対象は、専門家ではない一般の人であるとし、法の背景にある価値観や司法制度について考えさせ、社会に参加することを重視しています。

日本でも社会の変化への対応の一つとして、法務省が法教育の普及を目指しているところです。

子どもたちは、法について学ぶことで、犯罪から身を守ることができ、社会の仕組みについて知り、能動的に社会に参加できるようになることが期待されます。

これは、まさに「生きる力」を身につけることになると考えます。

各自治体においても、様々な取り組みはされているようですが、
現在、杉並区立学校における法教育の実態はどのようになっているのでしょうか? また、どのような課題があるのか、お伺いします。

法教育は、身近な司法の実現を目指すため、裁判員制度を含む司法制度改革と、教育改革の流れに沿うものです。

平成13年から本格的に始まった司法制度改革において、法や司法制度は、本来、法律の専門家のみならず国民全体で支えられるべきものとされ、司法を支える国民的基盤を確立するために、平成21年5月までには国民が一定の刑事裁判に参加する裁判員制度が開始されることとなりました。

法教育は、法や司法制度、そしてこれらの基礎になっている価値を理解し、法的なものの考え方を身につけるための教育であると言えます。

これは、法律専門家を養成する法学教育とは異なり、一般の人々が対象であること、そして、単に法律の条文や制度を覚えるものではなく、法やルールの背景にある価値観や司法制度の機能や意義を考える教育であります。

法的な知識を覚えることにとどまらず、将来、自由な活動範囲が広がることに備え、あらかじめ紛争を防止し、 紛争が発生した場合には、法に基づいて公正な紛争解決を行う力等、実生活で生きて働く力として、思考力、判断力、表現力などを高めることを重視する法教育の基本的な考え方は、現在の学校教育が目指している「生きる力」の育成という目標にも合致したものであると考えます。

法務省において発足した、法教育研究会は、目指すべき法教育として

1. 法は共生のための相互尊重のルールであること

2. 私的自治の原則など私法の基本的な考え方

3. 憲法及び法の基礎にある基本的な価値

4. 司法の役割が権利の救済と法秩序の維持・形成であること

以上4つの観点を理解させることを明示し、報告書をまとめています。

人を裁く立場になるということはたいへん大きな責任を伴うものです。

将来、裁判員となって能動的に司法制度にかかわっていくことを考えますと、現代の社会の変化に耐えうる「生きる力」を身につけさせることとあわせて、法教育の意義や必要性が大きいと考えます。

これは、自由で公正な社会の担い手となるために、欠く事のできない資質の育成を目指すものであり、その普及・啓発を一層図っていく必要性があると考えますが、

今後、学校教育において、法教育の充実を図っていく必要性について、教育委員会のご所見を伺います。

「江戸しぐさ」に言い表されるような、理想の共生社会の再構築は、人間教育をもってでしか成し得ないと考えます。

未来に「杉並しぐさ」と言い伝えられるような、杉並らしい文化が生まれることを期待し、質問を終わります。