東日本大震災から
随分前のような気がしてしまいます。
震災直後、混乱の中、被災した家族を探しに福島へ行ったこと。被災地に救援物資を運んだこと。原発の警戒区域内の実家へ一時帰宅したこと。実家の3分の2が津波で流されていたこと。
平穏な暮らしを取り戻すと、それらの出来事がどこかリアリティの無い感覚になってしまいます。
人間の脳波は嫌なことは早く忘れようとする回路が働くそうですが、そういうことなのかもしれません。
しかし、家族は避難生活を強いられたまま故郷の地に帰る目処も立たないこと。そして、一時帰宅の度に目にする、未だ手つかずのままの街並と津波によって崩壊した実家は、嫌が応でも現実に引き戻してくれます。
かろうじて残った実家の居間にある、2011年3月のカレンダーと地震発生時刻の14時46分過ぎで止まったままの掛け時計は2年前と何も変わっていない悲しい証です。
いつも一通り作業を終えると駅舎が流され荒れ果てた富岡駅のホームに立ちます。
そこには、震災前と変わらぬ美しい海と真っ青な空が広がっています。
その素晴らしい故郷の風景を見る度に、いつかもう一度この街を復興させたいと心の底から思うのです。
絶対にあきらめない、希望を捨てない限り必ず道は切り開かれて行くはずだと信じます。
日本人の力と可能性を信じたいと思います。
もう一度自分にできることから始めよう。