あれから5年。
今年も「3.11を忘れない」がセシオン杉並で開催されました。
議会本会議中に発生した地震の恐怖。
TVのライブ映像に息をのんだこと。
区内の高齢者の安否確認に走り回ったこと。
区の防災センターから、震災情報をTwitterで発信し続けたこと。
夜中まで帰宅困難者の受入を手伝ったこと。
朝方、地元中学校の旅行バスを迎えたこと。
震災直後4日目に、妻の家族を捜しに必死の思いで福島へ行ったこと。
通信手段が無く孤立し、食料も乏しい避難所を目の当たりにしたこと。
地元の企業や商店街の協力でパソコン、プリンター、文房具を仮設の富岡村役場へ届けたこと。
瓦礫の残る石巻市の音と臭い。
南相馬市の義援金を送ったNPO訪問するため、仙台から津波の爪痕の残る沿岸の被災地を南下したこと。
原発から5キロの富岡町へ一時帰宅で防護服を着ての帰郷したこと・・・。
被災した家族が都内で避難生活を送っているにも関わらず、日々の暮らしの中で大変だったことをつい忘れてしまいそうになります。
「復興は風化と風評という2つの風との戦い」だという言葉を改めて実感します。
杉並区は交流都市の南相馬市へ、復興の目処が立つまで職員の派遣を続けます。
この5年間、議会で様々な防災震災対策を提言し実現してきましたが、すべての被災者の方が「人間の復興」を成し遂げる日の来ることを信じ、「今やるべきことをやる」と新たな決意の日となりました。